犬との旅行プランナーのキャンディです。
犬と一緒に旅に行くときのお手伝いをします。
奈良県橿原市在住で、普段、SNSで奈良県内明日香村、橿原市、桜井市、高取町などの愛犬と行ける史跡などを紹介しています。
今回は、江戸時代に刊行された奈良県への旅行本、大和名所図会を参考に、愛犬🐕と奈良県五條市にある榮山寺に令和4年2月11日(土)に行ってきました。🐶
大和名所図会には、多くの神社や寺の配置を鳥瞰図で描いています。今回紹介する榮山寺は、門前の音無川(吉野川)の筏流しは描かれていますが、榮山寺の寺の配置の鳥瞰図が掲載されていません。榮山寺には法隆寺の夢殿と同じような国宝の八角円堂等などもあるのに、なぜ、言葉での説明だけにして、寺の配置は掲載しなかったのでしょう?このようなことを推理🤔しながら榮山寺を紹介していきます。
なお、榮山寺境内は犬は抱っこです。また、寺周辺での犬のマナーもは必須です。
1 おすすめ
(1)大和名所図会にも描かれた音無川
最初に、現在の榮山寺と音無川の位置図をご覧ください。
榮山寺から道を挟んで、音無川があります。音無川の水面は、榮山寺前の道路より5m程度低い位置に流れており大和名所図会榮山寺も工夫して描かれています。
なお、川の右方向が吉野方面の上流で、左方向が五條市街を通り和歌山県の紀ノ川へ流れる下流です。すなわち、右から左方向に川が流れています。
🔴大和名所図会 榮山寺
大和名所図会は江戸時代の旅行本で、江戸時代の風景が描かれています。
見事な松の榮山寺の前に流れる音無川には筏流し。吉野方面に向かう岸を歩く旅人がその様子を見て歩いて行きます。一段高い位置の塀越しにも、荷物を背中にしょった旅人が、五條市街に向かい歩いて行きます。川の流れは左から右に流れ、筏の船頭さんも前に座り、漕ぎ手は後ろで舵を取っています。
大和名所図会榮山寺の絵の中には、
「榮山寺の前なる音無川といふハ宇智川にして其みなもとハ高間山よりなかれ小和須川なとを経て三在をめぐり宇野を歴て吉野川に入」と音無川の流れについて書かれています。
大和名所図会榮山寺の紹介ページでは、榮山寺の「前なる川の水流、見渡す所前後12町の間、四時常に浪たたず、水面静なり。世の人名づけて音無川といふ。川上より常に船筏の下るる事絶えず」と書かれており、榮山寺周辺の風物詩となっていたのでしょう。
なお、この付近だけ吉野川を音無川と言う理由は、榮山寺に弘法大師が修行を行っていた時、お寺のすぐ下を流れる吉野川の川音が昼も夜も大きな音をたて修行の妨げになることから「音たてないでください」とお経を唱えた途端に、川音が止まり静かになったことから音無川と言われるとのことです。
・現在の、榮山寺本堂から音無川を望む。
写真の中央の門が山門で、寺と道との間には土塀はありません。また、榮山寺の境内から音無川の川面はみることができません。このことから、江戸時代、音無川の岸辺りには、木々が無かったのかもしれません。
🔴明治末の音無川岸から榮山寺を望む写真(建物は、榮山寺の塔之堂、本堂と思われる。)
(奈良県立図書情報館蔵)
奈良県名勝写真帖(発行:明治43)および大和名勝写真帖(発行:大正4年)より
この写真は、音無川の岸から五條市街方面(下流の和歌山方向)を撮影しています。
昭和の半ばまで、筏流しがあったと言う事から、この写真の撮影時期でも筏流しはあったのでしょう。この写真からもわかるように、榮山寺は、川面から5m以上の高さに建てられていたようです。
🔴現在の音無川の様子。
榮山寺の前の県道39号の道路脇から、音無川を五條市街方面(下流の和歌山方向)を撮影しています。明治末の音無川岸から榮山寺を望む写真とほぼ同じ方向を撮影しており、赤い榮山寺橋が掛かっています。
明治以降、榮山寺と音無川の間に2車線の県道を作るのにあたり、音無川側に道幅を広げたため、現在は、大和名所図会の構図の絵は見れなくなった可能性があります。
🔴今の音無川の岸辺
今は、榮山寺前ぐらいから、川岸へ降りることができます。川の流れは穏やかで岸付近でも川の音はしません。江戸時代もこの静かな川の流れの中、木材を積んだ筏を旅人は見ていたのでしょう。
(2)榮山寺八角堂の傍らに咲く蝋梅
梅の一種、蝋梅が満開で、春が近づいてきていることを知らせているようです。
★参考情報
1訪問日 令和4年2月11日(土)12時頃
2 一行 犬(キャンディ)とお供1名
3 乗り物 自動車1台
4 旅程
奈良県橿原市内大和八木駅前広場スタート→国道24号→四条町交差点右折→大和高田バイパス→新堂ランプ→新堂ランプ交差点左折→京奈和自動車/国道24号五條・御所方面→五條北IC出口→国道24号へ→居伝町交差点右折→国道168号→今井町交差点左折→県道39号→1km先右折→榮山寺緑地公園駐車場→徒歩→展望台→徒歩→榮山寺→帰路
車の移動時間は約30分。展望台まで約30分。榮山寺拝観約20分。
5地図
6内容
🔴榮山寺基本情報
でした。(拝観料や拝観時間は変わる場合があるとの事です。)
なお、八角円堂の内部等が見れる、「ご本尊特別御開帳及び八角円堂内陣特別拝観期間」は、4月25日から5月最終日曜日、10月25日から11月最終日曜日で拝観料500円との事です。
・榮山寺とは、
養老3年(719年)藤原南家武智麻呂が開創。藤原南家の菩提寺。南北朝時代、南朝の後村上天皇等の行宮所でもあります。
※719年は藤原京から平城京に遷都して9年の平城京時代。日本書紀ができる1年前。
🔴徒歩順路
凡例:①展望台 ②鐘堂 ③七重石塔婆 ④塔之堂 ⑤本堂 ⑥御霊神社 ⑦八角円堂
①展望台
展望台への山道。200段程度の階段を上ります。約30分かかります。
展望台広場。木のベンチがあり休憩ができます。もう少し登ると武智麻呂の墓になります。
展望台から五條市街は見れませんが御所市方面が望めます。
五條市六倉町と言う所で、吉野川が曲がりくねっているところです。吉野川を上る(右方向)には、大淀町があり、その先が吉野です。江戸時代、吉野付近狭い川から、ゆったり広々とした幅の川になり、筏流しの船頭もこの付近で、たばこでも吸ったのでしょうか。
②鐘堂
拝観料を払い、お寺に入ります。
榮山寺入口
境内は東西に長く、木々も剪定され参道も清掃されています。
左手に鐘堂があり、小野道風の書が刻まれた銘文がみることができます。
③七重石塔婆
奈良時代の物のようです。
④塔之堂
大日如来像を安置しており、大日堂とも呼ばれています。お堂の中が見れるのは、特別拝観の時との事です。
⑤本堂
本堂全体像。本尊は薬師如来座像 脇侍に日光菩薩、月光菩薩が安置されているとの事。特別拝観の時に、中の仏像が見れるとの事です。
前の石灯灯籠は弘安7(1284年)と銘があり重要文化財で榮山型と呼ばれる形とのこと。
⑥御霊神社
小島町御霊神社とも呼ばれ、小島一円の氏神 。第45代聖武天皇の長女、井上内親王を祀ります。
⑦八角円堂
八角円堂前で愛犬の記念写真
藤原武智麻呂の菩提を弔うために子の仲麻呂が建立したと伝えられる本瓦葺の八角形の建物。特別拝観の時に、内部が一般公開されるとの事です。
八角円堂の説明。明治時代、屋根は草葺きから瓦葺きに改修されている。
八角円堂内は、極彩色の飛天、人鳥、菩薩、神仙図などが描かれているとの事。
当日は、蝋梅が満開でした。
🔴最後に
榮山寺の配置は掲載しなかったのはなぜでしょうか?
大和名所図会には、榮山寺を藤原武智磨が建てたことや藤原氏の氏寺で、南北朝時代南朝の拠点となり戦国の兵火で、藤原仲麻呂の建てた八角円堂以外焼失し、江戸時代に復興されたこと。また、鐘の話も掲載されています。
本来、八角円堂だけでも、絵の中に入れる構図にしなかったのか。
なお、八角円堂と同じような建物は、法隆寺の夢殿があり天平11年(739年)の創建で、大和名所図会3巻に法隆寺夢殿が掲載されています。
ここからは推理ですが、
江戸時代、榮山寺に近い、五條市新町付近は交通の要所で五街道が集結し、特に江戸の参勤交代にも使用された紀州街道などもある宿場町で、江戸の庶民も関心が高く、大和名所図会でもその様子が描いています。また、吉野の材木は江戸時代、一大産業で、優美に吉野川を流れる筏流しも、絵師竹原は描きたかったのでしょう。そして、本来、御所市までは、神社仏閣があり、五條市付近でも、神社仏閣を入れたいところ、ページを取るのが困難な理由があり、また、八角円堂は、榮山寺の境内の少し山側の奥にあり(明治時代の写真にも八角円堂は写ってない)絵師竹原は、そこまで誇張して八角円堂を入れるのをあきらめ、榮山寺の門前の土壁のみで、表現したのではないだろうか。
皆さんも、榮山寺に拝観して、推理してもませんか🤔🐶
🔴その他
・奈良と言えば柿ですが、奈良県五條市で製造している柿の一口ようかんを後日、紹介します。
・大阪古地図昔案内 江戸時代を歩く
江戸時代の代表的な古地図である「大坂大絵図」を題材に、大阪の地誌や生活文化を探求する案内書。
🔴初春になりました。是非、愛犬と古都奈良へ!