犬との旅行プランナーです。
犬と一緒に旅に行くときのお手伝いをします。
奈良県橿原市在住で、普段、奈良県内明日香村、橿原市、桜井市、高取町などの愛犬と行ける史跡などを紹介しています。

(川原寺伽藍跡)
今回、飛鳥時代、日本で初めて写経が行われ、飛鳥時代最大級の寺院伽藍であった奈良県明日香村にある川原寺跡へ愛犬と行ってきましたので紹介します。
川原寺跡は、令和8年に世界遺産候補「飛鳥・藤原の宮都」の19構成資産の一つでもあります。
みなさまが、川原寺跡に訪問する前の手助けになれば幸いです。
なお、川原寺跡周辺での犬のマナーは必須です。
1 おすすめポイント
(1)日本で最初の写経を行ったお寺
日本書紀に書かれた日本で最初に行われた写経のお寺。現在は、弘福寺で写経体験ができます。
詳しくは、下記の「2 日本の写経発祥地」をご覧下さい。
(2)驚きの大きさの寺院跡
「飛鳥四大寺」(飛鳥寺・川原寺・大官大寺・薬師寺)の中で一番大きかった寺院。
詳しくは、下記、「3 国家寺院の川原寺の大きさが実感できる史跡」をご覧下さい。
(3)川原寺跡を巡る
東西 約250メートル、南北 約260メートルの川原寺跡が残る貴重な史跡。
詳しくは、下記、「4 現在の川原寺跡風景」をご覧下さい。
2日本の写経発祥地
①最初に、川原寺の由緒を紹介します。
〇655年(斉明天皇元年)
・孝徳天皇崩御後、再び即位した斉明天皇は飛鳥板蓋宮で公務を勧める。
・斉明天皇が飛鳥板蓋宮の火災後、飛鳥川原宮へ遷る。

(飛鳥川原宮予想図)
南に南門、広場があり、政務、儀式が行われる大極殿、その後ろに中庭を挟んで、天皇の生活空間の御殿が建っていたと言われています。
〇656年(斉明天皇2年)
・飛鳥川原宮から新たに造営された後飛鳥岡本宮へ遷る。後の川原寺建立地となる。
〇661年(斉明天皇7年)
・斉明天皇が崩御。
〇7世紀後半(670年代頃)

(飛鳥時代、川原寺予想図)
・天智天皇が母・斉明天皇の菩提を弔うために飛鳥川原宮の後に川原寺を創建。
・飛鳥寺・大官大寺・後の薬師寺と並ぶ「飛鳥四大寺」の一つとなる。
〇673年(天武天皇2年)

(飛鳥時代、川原寺、写経の様子)
・『日本書紀』に、日本で初めての写経が川原寺で行われた記録が残っています。
◯686年(朱鳥元年)
・新羅の使節を賓客として迎えるために、伎楽団を筑紫国に遣わす。
・天武天皇の病の平癒のために清雅を行うが天武天皇崩御。無遮大会(むしゃだいえ)が行われる。
※無遮大会とは会衆に制限のない法会)
◯702年(大宝2年)
持統天皇崩御後の設斎(せっさい)が行われる。
※設斎とは、僧への食事の提供。
〇7世紀末~8世紀初頭
・文武天皇の時代に国家寺院(官寺)として重視される。
・飛鳥寺・薬師寺・大官大寺とともに「四大寺」に数えられる。
〇710年(和銅3年)
・平城京遷都。
・多くの寺院が移転する中、川原寺は飛鳥の地に残る。
〇平安時代
・寺名が弘福寺(ぐふくじ)とも呼ばれるようになり、『延喜式』では十五大寺の一つに数えられる。
〇中世(鎌倉~室町時代)
・火災や戦乱により堂塔が次第に失われる。
〇1191年(建久2年)
・大規模な火災で主要伽藍を焼失。以後衰退が進む。
〇中世後期~近世
・大寺院としての川原寺は廃絶状態となるが、寺域の一部で弘福寺が法灯を継承。
〇1957年(昭和32年)

(現、川原寺跡)
・川原寺跡が国史跡に指定される。
〇1970年代以降

(川原寺で出土した三尊塼仏(さんぞんせんぶつ)と復元した三尊塼仏)
※塼仏(せんぶつ)とは、粘土を型に押し当てて仏や菩薩の姿を浮き彫りにし、焼き固めたレンガ状の仏像のこと。
・本格的な発掘調査が進み、一塔二金堂式の壮大な伽藍配置や塼仏(せんぶつ)が発見される。
〇2000年代以降
・川原寺跡は国史跡として保存され、跡地の弘福寺では写経体験や特別公開が行われている。
・世界遺産候補「飛鳥・藤原の宮都」の構成資産の一つとなる。
②川原寺の写経について
写経(しゃきょう)とは、仏教の経典を一字一句書き写すことで、仏の教えを学び、功徳を積むための重要な修行。

(飛鳥時代、写経の様子)
写経は古代インドで仏教経典を書き写したことに始まり、中国を経て日本へ伝わりました。日本では、仏教伝来後、経典は大変貴重であったため、僧侶たちが手作業で書き写しました。
日本で正確な写経が始まったのは不明ですが、川原寺の由緒のとおり、
『日本書紀』天武天皇14年(685年)3月27日条には、「川原寺において一切経を写さしむ」という記事があり、天武天皇が川原寺で「一切経(いっさいきょう)」の書写を命じたという記録です。
※一切経とは、仏教の経典・律・論などを集大成した膨大な仏教文献群のこと。
特に、飛鳥時代の寺院では、僧房や経蔵の近くで僧侶が机に向かい、墨をすりながら経典を書き写していました。紙はまだ貴重だったため、一文字ずつ丁寧に書き進め、完成した経典は寺院の宝物として保管されました。
では、なぜ、川原寺で「写経所」が設けられていたのかは、飛鳥時代を代表する大寺院の一つで、
・豊かな経済基盤
・高度な仏教文化
・大陸から伝わった学問や技術
・多くの学僧(川原寺の規模や国家的事業を考慮すると50人から100人の規模の僧侶が行ったと推定されています。)
を有していたことから、国家規模の写経事業を行う拠点に選ばれたと考えられています。
なお、平安時代には貴族間で広がり、鎌倉時代以降、武士や一般の人々にも広がり、信仰の実践として写経が定着しました。
現在、川原寺跡の一部にあたる弘福寺で写経体験ができます。
〇まとめ
川原寺での一切経書写は、
・国家による仏教保護の象徴
・日本最古の組織的写経事業
・後の奈良時代の写経文化の出発点
・飛鳥文化の国際性を示す証拠
として、
この天武14年(685年)の「川原寺一切経書写」は、飛鳥時代の川原寺が単なる寺院ではなく、日本の仏教文化と学術の中心地であったことを示す重要な出来事です。
3 国家寺院の川原寺の大きさが実感できる史跡

(飛鳥時代、川原寺予想図)
〇伽藍の様式
一塔二金堂式 南から、南大門、中門の回廊内に塔と南金堂があり、その奥に回廊とつながった中金堂が配置。その北側に僧房に囲まれた講堂があったと言われています。

(川原寺の説明板より)
〇川原寺の伽藍の規模は、
・寺域全体 東西 約250メートル、南北 約260メートル、面積は約6.5ヘクタール(東京ドーム約1.4個分)と言われています。
・主要建物の規模及び建物の役割
・中金堂 東西約36メートル、南北約18メートル、本尊(仏像)を安置する中心仏殿で国家安泰や天皇の繁栄を祈る法会が行われたとの事です。
・西金堂 東西約21メートル、南北約15メートル、中金堂を補うもう一つの仏殿で、中金堂とは異なる仏像や脇侍像を安置されていたとの事です。

(中金堂内部想像図)
出土した塼仏(せんぶつ)から、三尊塼仏が壁一面に並び、その表面には金箔が施され、中央には大きな仏像が安置され、参拝者は堂内に入ると、周囲を無数の仏たちに囲まれるような荘厳な空間を目にしたと考えられています。
・塔 基壇(一辺)約17メートル、五重塔であったと推定、仏舎利(お釈迦様の遺骨)を安置する最も神聖な施設です。
・講堂 東西約44メートル、南北約19メートル、僧侶が経典を学ぶ場所で法要や講義(講経)が行われた言われています。
4 現在の川原寺跡風景

(しっかりした基壇が望める川原寺跡)

(川原寺跡内にある説明板)
史跡 川原寺跡
川原寺は、法名を弘福寺ともいわれている。その創建年代については不明であるが、「日本書紀」に天武天皇2年3月の条に川原寺で経をが写すという記事があることや、伽藍配置や瓦の文様が天智天皇に関連する大津宮の南滋賀廃寺や大宰府の観世音寺と類似することから、天智天皇の時代(662~671)に斉明天皇の冥福を祈って建てられたものと考えられる。
明治32、33年の発掘調査の結果、中金堂(現弘福寺の場所)の前には、東に塔、西に西金堂が建ち、中門からでた回廊がこれらを囲むようにして中金堂へとつながっていることが判明した。また、中金堂の北には講堂があり、これを取り囲むように僧房が3面にある。川原寺で使われていた複弁八弁蓮華文軒丸瓦は川原寺式軒瓦と呼ばれ、天武天皇の時代には近畿・東海地域の古代寺院に多くみられ、壬申の乱で功績のあった氏族の寺院と関係のあったものと考えられている。
現在では弘福寺境内にある瑪瑙(白大理石)の礎石と公園内の建物復元の基壇が往時をしのばせている。

(川原寺跡内にある説明板)
史跡 川原寺跡
川原寺は、天皇家の私的寺院として創建され、後に国家寺院として位置づけられており、国家寺院が成立する過程を示す仏教寺院の遺跡です。
伽藍の配置には唐尺が用いられ、堂内には塼仏(せんぶつ)(仏像・仏土の姿を表現し、焼いて作成した板状の仏像)が飾られていました。創建時に使用された瓦の文様も中国の影響を受けたもので、これ以後の寺院で普及する文様です。
川原寺以前の寺院が朝鮮半島(百済・新羅・高句麗)の影響を色濃く示すのに対して、飛鳥寺は中国の影響を受けていることが特徴です。
飛鳥川を挟んで対峙する飛鳥宮の方向を向いた東門が伽藍の正面である南門よりも大きく造られており、飛鳥宮と強く意識していることがわかります。
・川原寺跡基壇(上空より)

※青字:現建物 赤字:川原寺伽藍跡 黒字:写真撮影位置
①写真

(南大門跡基壇から北を望む。)
②写真

(中門跡基壇から北を望む。柱の部分もわかります。)
③写真

(西側回廊跡から東方向を望む。手前が西金堂跡、奥が塔跡の基壇。)
④写真

(塔跡の基壇そばから東方向を望む)

(塔跡の基壇上)
⑤写真

(西側回廊跡。北から南方向を望む。先に、橘寺が望めます。)
⑥写真

(中門跡から東方向を望む。塔跡の基壇を囲む回廊跡がわかります。)
⑦写真

(川原寺跡の東側回廊から西側を望む。中金堂跡には、現在、弘福寺が建ちます。)
⑧写真

(少し盛り上がっているところが講堂跡)

(弘福寺入口。)

(弘福寺境内に中金堂の礎石があります(瑪瑙石))
(説明板より)
川原寺中金堂礎石
中大兄皇子(のちの天智天皇)の母、斉明天皇の為に建立した川原寺は一塔二金堂式の伽藍を配し、その広大さは復元された遺構から想像に難くない。(飛鳥時代7世紀後半)。当房はその中金堂跡に建っており、境内にある二十八の礎石はまさに中金堂を支えていたものである。
⑨写真

(川原寺跡西端から北東を望む)
是非、雄大な大きさを現地で実感して、飛鳥時代の川原寺を想像してください。
5 弘福寺基本情報(令和8年6月17日現在)

(1) 名称 真言宗豊山派仏陀山弘福寺
(2) 住所 奈良県高市郡明日香村川原1109
(3) 宗派 真言宗
(4) 開基 川原寺開基 天智天皇
(5) 本尊 十一面観音菩薩

(6) 創立 平安時代に寺名を川原寺から弘福寺と呼ばれるようになった。
(7) 拝観時間 午前9時~午後5時00分
(8) 入山料 500円
(9) 駐車場 下記のリンク先を参考にしてください。
(10) 概要
飛鳥寺・薬師寺・大官大寺とともに「飛鳥四大寺」の一つに数えられた川原寺の法灯を現在に伝える寺院。
(11) ホームページ
川原寺跡 弘福寺 | 想・感・願 ~1400年の時を越えた寺~
(12) 参考(愛犬と訪問した時の状況)なお、この記事の写真は、数回、愛犬と川原寺跡に訪問したものも含まれます。
①散歩月日時間 令和8年3月20日(金) 15時00分〜16時00分
② 一行 犬(キャンディ)とお供2名
③ 乗り物 自動車1台
④旅程(車行程)
⑤車行程
奈良県橿原市内大和八木駅前広場スタート→国道24号→橿原市役所東交差点→国道165号→JR畝傍御陵前T字路左折→醍醐西交差点右折→国道165号→縄手町交差点左折→1.2Km先ファミリーマート橿原下八釣店角交差点右折→県道124号→雷交差点右折→県道124号→奥山交差点右折→県道15号→万葉文化館前交差点右折→万葉文化館駐車場(車駐車)→徒歩→酒船石遺跡→飛鳥宮跡→川原寺跡→徒歩→万葉文化館駐車場(車駐車)帰路
⑥車行程(地図)
6 その他

・世界遺産候補「飛鳥・藤原の宮都」の構成資産の一覧は、下記のリンク先から見る事ができます。
愛犬と行く奈良県 世界遺産候補「飛鳥・藤原の宮都」の構成資産一覧へ① - 犬との旅行プランナー
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🔴「飛鳥・藤原の宮都」については、下記のリンク先から見る事ができます。
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以上で「【犬連れ散策】愛犬と行く日本最初の写経の寺 奈良県明日香村川原寺跡(世界遺産候補「飛鳥・藤原の宮都」」を終わります。
