犬との旅行プランナー🐶です。
犬と一緒に旅に行くときのお手伝いをします。
奈良県橿原市在住で、普段、SNSで奈良県内明日香村、橿原市、桜井市、高取町などの愛犬と行ける史跡などを紹介しています。
今回、世界遺産を目指す「飛鳥・藤原の宮都」の構成資産の一つ奈良県橿原市にある「本薬師寺跡」について紹介します。

(史跡内にある石碑(史蹟 元薬師寺址))
なお、本薬師寺跡は、愛犬と行くことは可能ですが、本薬師寺跡周辺での犬のマナーは必須です。
1 奈良県橿原市・本薬師寺跡を訪ねて|現在の本薬師寺跡の風景

(本薬師寺跡南側から北方向を望む。⇒右の木の場所が東塔、左の盛り土の場所が西塔、真ん中に金堂跡になります。)
周囲にはのどかな田園風景が広がり、観光地の喧騒とは無縁の静かな史跡です。現在この地に建物は残っていませんが、整然と残る礎石や伽藍跡に立つと、ここがかつて飛鳥時代を代表する大寺院であったことを、確かに感じ取ることができます。
なお、その周辺には条里制地割による田園が今に伝わり、地元人々の弛まぬ営農活動により、景観と地下に埋蔵されている遺構が大切に保存されてます。また、地元の人々により清掃活動が行われており、多くの人々がよりよい環境で古代寺院に触れることができる機会を提供しています。

(本薬師寺配置図)
配置図、上が北側、下が南側、右が東側、左が西側

(現本薬師寺跡図(航空写真))
①西塔跡

(西塔跡に残る基壇(きだん)(盛り土))
飛鳥時代、高さ約34mの三重塔が建っていたとの事です。その塔には、各層に裳階(もこし)と呼ばれる小さな飾り屋根を持つ、白鳳文化特有の華麗な「龍宮造り」との事です。

(西塔跡上に残る心礎(しんそ)(塔の最も重要な心柱を支えるための礎石)
西塔跡上から東方向を望むと、奥に見えるのが東塔跡でその奥に忍坂山(おさかやま)や音羽山(おとばさん)が望めます。
②東塔跡

(東塔跡に残る基壇(きだん)(盛り土))
西塔と同じく、飛鳥時代、高さ約34m三重塔が建っていたとの事です。

(東塔跡上に残る心礎(しんそ)(塔の最も重要な心柱を支えるための礎石)
西塔の違いは、舎利孔(しゃりこう)((お釈迦様の遺骨)や経典などを納めるための、心礎(塔の心柱を支える石)の中央に設けられた小さな穴)と出枘(でいぜい)(心柱を礎石に固定するための「枘(ほぞ)」があります。
③金堂跡

(金堂跡に建つ醫王院と庫裏)

白鳳山 ・医王院・本薬師寺(元禄5年(1692)の建立の本堂。本尊:薬師如来坐像)

境内に並ぶ金堂跡礎石。(本堂横の南北に並ぶ金堂跡の礎石)

境内に並ぶ金堂跡礎石。(本堂前を東西に並ぶ金堂跡の礎石)
金堂の規模は東西(桁行): 約37〜38m、南北(梁間): 約21〜22mと予想されています。
この事から、本堂下に一部、楚石が隠れています。
2 飛鳥時代の本薬師寺を想像する

(本薬師寺跡に、飛鳥時代の本薬師寺が建っていた時の風景想像図)
この静かな史跡に、かつては白鳳時代の壮麗な伽藍が建ち並んでいました。瓦葺きの金堂、東西にそびえる塔、回廊に囲まれた堂宇。僧たちの読経の声や、藤原京の都人が行き交う様子を思い浮かべると、現在の静寂との対比がいっそう際立ちます。何も残っていないからこそ、想像力が自然と掻き立てられる場所です。
現、西の京の薬師寺は、飛鳥時代の本薬師寺と同様の形式の建物がが建っていたと考えられています。特に、西、東塔は、三重塔でありながら六階建てのように見える構造です。一般的な三重塔は屋根が三つですが、本薬師寺の塔では、各層の間に「裳階(もこし)」と呼ばれる小さな屋根状の庇が付けられています。そのため、実際の構造で三重塔、見た目は六階建ての塔という、他にほとんど例のない独特な姿が飛鳥時代の本薬師寺でも見られたのでしょう。
3 本薬師寺の創建と歴史

〇本薬師寺跡にある説明板

(説明板書き出し)
昭和二十七年三月二十九日
本薬師寺は、日本書紀によると、天武天皇が皇后(のちの持統天皇)の病気平癒を祈って発願された寺です。
寺の建立が開始された時期は不明ですが、天武天皇崩御ののち、持統十一年(697)に「日本書紀」に「開眼会が開かれ、翌年の文武二年(698)に諸仏は完成した」と伝えられています。
寺域は藤原京右京六条二坊を占めていましたが、平城京遷都に伴い(710年)、平城京右京六条三坊に移転されたことが『薬師寺縁起』によって知られています。
「中右記」によると、寺が移転した後も平城時代中頃まで伽藍の存在が確認できます。
また、この頃には平城京の薬師寺に対して本薬師寺と呼び、区別するようになりました。
伽藍は、中心に金堂、その前面に左右対称に東・西塔を配置し、南に中門を開き、その両脇に回廊を巡らせ金堂北側の講堂に取り付くいわゆる薬師寺式伽藍配置と呼ばれるものです。
発掘調査は、1966年から西南隅での調査に始まり、金堂・東塔・西塔・中門・回廊の一部で行われ、重要な成果が得られました。
金堂・東塔・西塔・中門の規模が平城京薬師寺とほぼ同じであることが明らかになりました。
伽藍の造営は天武朝に始まり、続いて持統・文武朝に及んだと考えられます。
また、中門西側の調査で、寺の建立に遡って西塔の礎石に使用されていた石材が発見され、それを埋め立てて造営されたことが確認されました。
従来は経路の位置関係や礎石が平城京薬師寺と異なることから、伽藍は簡略化されていましたが、発掘調査により、そのように後出し的に代表されるものではなく、平城京薬師寺の占める位置は極めて大きいものといえます。
4 藤原京との深い関係

本薬師寺と藤原京の関係は、単に「都の近くに建てられた寺」というものではありません。両者は、日本最初の本格的都城国家を支える政治と宗教が一体となった構造の中で、計画的に結び付けられていました。

(赤の部分が本薬師寺、青の部分が藤原宮)
本薬師寺が藤原京の中心部ではなく、あえて都の外縁部に建てられた点は重要です。
古代寺院は、都市内部だけでなく、都の周縁に配置されることで、結界的・守護的な役割を担っていました。本薬師寺は、東方から都を守る存在として機能し、政治の中枢である藤原宮と対をなす、宗教的な拠点だったと考えられています。
これは、単なる信仰施設ではなく、国家体制の一部として寺院が位置づけられていたことを示しています。

(現在の西の京にある薬師寺)
710年に都が藤原京から平城京へ移ると、藤原京はその役割を終え、本薬師寺もまた、都と運命を共にするように移転されました。
これは、本薬師寺が「地域の寺」ではなく、「都に属する寺」であったことを明確に物語っています。
橿原の地に寺院が残らなかったことは、一見すると喪失のように思えます。しかし、藤原京とともに役割を終えたからこそ、本薬師寺跡は、日本最初の都城国家が成立した瞬間を伝える、貴重な痕跡として今も残されているのです。
6 最後に|静かな史跡に残る本当の価値

(現、本薬師寺跡)
奈良県橿原市の本薬師寺跡は、飛鳥時代から藤原京、そして平城京へと続く日本古代史の大きな転換点を今に伝える場所です。建物が残っていないからこそ、歴史と向き合い、想像する楽しさがあります。
静かな環境の中で、かつてこの地に広がっていた壮麗な寺院と都の姿を思い描きながら歩く時間は、橿原市ならではの贅沢な歴史体験と言えるでしょう。是非、愛犬と本薬師寺跡を観光しませんか。
7 基本情報
①名称 本薬師寺跡(ほんやくしじあと)
②住所 橿原市白殿町286
③駐車場 なし
④参考
(本薬師寺周辺図)

凡例:🔴本薬師寺跡 🟢藤原宮大極殿 🔵藤原京雀大路跡無料駐車場 🟡近鉄畝傍御陵前駅 🟠🟣有料駐車場
※藤原京雀大路跡無料駐車場

藤原宮の南にある無料駐車場です。ここから歩いて、15分程度で本薬師寺跡につきます。
8 その他
🔴本薬師寺跡は「飛鳥・藤原の宮都」の世界遺産の構成遺産の一つです。

🔴犬との旅行プランナーは「飛鳥・藤原の宮都」の世界遺産の登録を応援します。
「飛鳥・藤原の宮都」については、下記のリンク先から見る事ができます。
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