犬との旅行プランナー

犬と一緒に旅に行くときのお手伝いをします

愛犬と行く2025年(乙巳) 飛鳥時代のシンクロ年(乙巳の変があった奈良県明日香村伝飛鳥板蓋宮跡にて)

犬との旅行プランナーのキャンディ🐶です。

犬と一緒に旅に行くときのお手伝いをします。

奈良県橿原市在住で、普段、SNS奈良県内明日香村、橿原市桜井市、高取町などの愛犬と行ける史跡などを紹介しています。

今年は、大化の改新の発端となった奈良県明日香村村岡の伝飛鳥板蓋宮(現、飛鳥宮跡)での乙巳の変(いっしのへん)があった、飛鳥時代の(大化元年)645年6月12日(旧暦)から、令和時代の(令和7年)2025年7月10日(新暦)で、1380年後の230回目の乙巳の年になります。

※旧暦とは、明治5年(1872年)まで使用されていた月の満ち欠けを基準としていた太陰太陽歴。現在は、太陽の動きを基準とするグレゴリオ暦新暦)。よって、旧暦の6月12日は新暦の7月10日になります。

なお、60年前の乙巳の年、1965年は、前年に開催された東京オリンピックの余韻が残る中、経済発展が加速しました。

60年に一度巡る、乙巳の年は、「努力を重ね、物事を安定させていく」と言われ、また、巳年は、「新しいことが始まり、古いものが終わりを告げる」と言われ、変化の大きな年と捉えられています。

日本ではコメ不足、世界の各地の戦争、トランプ関税などめばぐるしい乙巳の年、さて、今年も残り半年、どんな年になるのでしょうか。

今回、愛犬と1380年前、乙巳の変があった、いにしえの都、明日香村の伝飛鳥板蓋宮跡(現、飛鳥宮跡)へ行ってきましたので紹介します。

なお、伝飛鳥板蓋宮跡(現、飛鳥宮跡)周辺の犬のマナーは必須です。

1  乙巳の変とは

左上は、皇極天皇。左下の弓を持つ武将は中臣鎌足。右は中大兄王子。左中央に蘇我入鹿の首が飛んでいます。なお、切られた首は飛鳥寺付近まで飛び、現在は入鹿の首塚と呼ばれる供養塔が建っています。

乙巳の変は、飛鳥時代645年(乙巳の年)6月12日(旧暦)に、中大兄皇子中臣鎌足らが三国の調の儀式が行うとして宮中(飛鳥板蓋宮(現、飛鳥宮)へ蘇我入鹿を呼び出して暗殺し、蘇我氏蘇我宗家)を滅ぼした政変この後、時代は大きく変わっていきます。

🔴暗殺の様子

6月12日(7月10日)に、三国の調の儀式が行われ、皇極天皇大極殿に出御し、古人大兄皇子が側に侍し、蘇我入鹿も入朝しました。蘇我入鹿は猜疑心が強く日夜剣を手放さなかったが、俳優(道化)に言い含めて、剣を外させ、中大兄皇子衛門府に命じて宮門を閉じさせました。石川麻呂が上表文を読みだし、中大兄皇子は長槍を持って殿側に隠れ、鎌足は弓矢を取って潜んだ。

入鹿を斬る役目を任された2人は恐怖のあまりに、飯に水をかけて飲み込むが、たちまち吐き出すありさまだった。鎌足は2人を叱咤したが、石川麻呂が表文を読み進めても子麻呂らは現れない。恐怖のあまり全身汗にまみれ、声が乱れ、手が震えた。不審に思った蘇我入鹿が「なぜ震えるのか」と問うと、石川麻呂は「天皇のお近くが畏れ多く、汗が出るのです」と答えた。

中大兄皇子は子麻呂らが蘇我入鹿の威を恐れて進み出られないのだと判断し、自らおどり出た。子麻呂らも飛び出して蘇我入鹿の頭と肩を斬りつけた。蘇我入鹿が驚いて起き上がると、子麻呂が片脚を斬った。蘇我入鹿は倒れて天皇の御座へ叩頭し「私に何の罪があるのか。お裁き下さい」と言った。すると、中大兄皇子は「入鹿は皇族を滅ぼして、皇位を奪おうとしました」と答えると、皇極天皇は無言のまま殿中へ退いた。子麻呂と稚犬養網田は蘇我入鹿を斬り殺した。この日は大雨が降り、庭は水で溢れていた。蘇我入鹿の死体は庭に投げ出され、障子で覆いをかけられた。

飛鳥宮跡から北方向を望む。左が蘇我蝦夷と入鹿の邸宅のあった甘樫丘。香具山の手前に映るのが飛鳥寺です。

(参考)飛鳥時代当時の飛鳥寺の規模

凡例:①飛鳥寺 ②甘樫丘(蘇我蝦夷と入鹿の邸宅) ③香久山 ④入鹿の首塚

蘇我入鹿を暗殺した後、中大兄皇子中臣鎌足は急いで飛鳥寺に陣を構えます。当時、大きな敷地があった飛鳥寺に陣を構える事で、蘇我の陣営が飛鳥寺を占領させないようにしたとの事です。なお、④入鹿の首塚がいつできたかは不明です。

(参考)現、飛鳥寺

飛鳥寺飛鳥寺西側の甘樫丘側の門。そこを抜け20m程度行くと入鹿の首塚があります。

正面に見えるのが入鹿の首塚の供養塔。奥の丘が蘇我蝦夷と入鹿の邸宅のあった甘樫丘。当時もこの場所で、入鹿亡き後の蘇我家と対時したのでしょう!

(参考地図)明日香村周辺

凡例:🔴飛鳥板葺蓋宮跡(現、飛鳥宮跡) 🟢飛鳥寺 🔵入鹿の首塚 🟡甘樫丘

→首が飛んだ距離 約600m

蘇我入鹿の首は600m飛んだのでしょうか?

2 乙巳の変があった伝飛鳥板蓋宮跡(現、飛鳥宮跡)とは

(最初に、飛鳥宮跡の遺跡を訪れた時の飛鳥宮のどの部分の遺跡かを示します。)

愛犬🐶と伝飛鳥板蓋宮跡(現、飛鳥宮跡)の現風景写真、明日香村の田園の中にたたずむ遺跡。井戸が復元されています。

伝飛鳥板蓋宮跡(現、飛鳥宮跡)(以降、「飛鳥宮跡」と言う)の、現在見える箇所を望みます。

現地の飛鳥宮跡の説明板。この史跡の、発掘調査について記載されています。

○説明板より

「史跡 飛鳥宮
昭和47年4月10日指定
(旧称 史跡 伝飛鳥板蓋宮跡 平成28年10月3日 名称変更)
日本書紀などには、推古天皇から持統天皇に至る七世紀の約一〇〇年間、歴代天皇の宮がつぎつぎと飛鳥の地に造営されたことが記されています。昭和34年以来、この地ではおもに、奈良県橿原考古学研究所により、発掘調査が続けられ、宮殿遺跡の様相が明らかとなってきました。

宮の中心部分は、塀で囲まれた東西約158メートル、南北約197メートルの長方形の区画(内郭)で、区画の内側では、大規模な掘立柱建物や石敷き広場などが見つかっています。ここでは、内部の北東隅で見つかった建物の柱の配置や井戸などを表示・復元しています。

内郭を囲むようにして、建物や中柱、石組溝などの施設が営まれており、それらを外郭と呼んでいます。
また、内郭の東南にはエビノコ大殿と呼称される大規模な掘立柱建物を中心とする一区画があることも明らかとなっています。
これらの遺構は木簡や土器などの出土遺物をもとに、日本書紀に記された斉明天皇後飛鳥岡本宮、および天武・持統天皇飛鳥浄御原宮などに相当すると考えられています。
令和3年3月 奈良県 」

また、遺跡周辺にも説明板があり、飛鳥宮の内郭の詳細な内容が書かれています。

説明板の一部より。飛鳥宮跡の全体から見えている遺跡の部分の配置図

※「現在地」が愛犬🐶と伝飛鳥板蓋宮跡(現、飛鳥宮跡)の現風景写真 の箇所

説明板内(一部追記)には、

飛鳥宮跡の変遷
飛鳥宮跡では、3時期の宮殿遺構が重なって造られており、次のように考えられています。 
 Ⅰ期遺構 舒明天皇飛鳥岡本宮(~641年)
 Ⅱ期遺構 皇極天皇の飛鳥板蓋宮(642年~645年)(乙巳の変おこる)
 Ⅲ期遺構(前半) 斉明天皇の後飛鳥岡本(655年~661年)
 Ⅲ期遺構(後半) 天武・持統天皇飛鳥浄御原宮(686年~693年)

Ⅰ期遺構は、北で西に傾く特徴があり、Ⅱ期遺構から正方向を向くようになりました。

Ⅰ・Ⅱ期遺構は、最後に作られたⅢ期遺構を保護しながら調査されるため、その構造はまだよくわかっていません。
Ⅲ期遺構は斉明朝に造られた宮であり、改築されながら天武・持統朝にも引き継がれています。令和6(2024)年の時点で、天皇の住まいである内裏の構造がわかる最古の王宮です。

なお、この地域には板蓋宮跡地という伝承がありました。昭和47(1972)年に史跡指定された時には、板蓋宮という確証がなかったため、「伝飛鳥板蓋宮跡」とされましたが、その後の調査・研究成果を踏まえて、「飛鳥京跡」に名称変更されています。」 

と記載されています。

飛鳥宮全体像風景絵図(奈良県橿原考古学研究所附属博物館より)飛鳥浄御原宮の絵図のようです。

凡例:①現、飛鳥宮跡の井戸の箇所 ②エビノコ郭 

なお、エビノコ郭はⅢ期遺構(後半) 天武天皇の時に造られたもののため、乙巳の変の時はなかった建物です。

飛鳥宮内裏の模型(奈良県橿原考古学研究所附属博物館より)飛鳥浄御原宮時代の模型のようです。

凡例:①現、飛鳥宮跡の井戸の箇所 ②エビノコ郭 ③内郭前殿 ④内郭南正殿 ⑤内郭北正殿

乙巳の変の現場は、大極殿で行われたと言われ、三国の使者と合う三国の調べの儀式が行われる場所の「③内郭前殿」で暗殺されたのでしょう。 

凡例:①「前の写真の③内郭前殿」拡大 ②宮門 ③庭(蘇我入鹿の死体が投げられた場所)

🔴暗殺の様子より

中大兄皇子衛門府に命じて②宮門を閉じさせた。蘇我入鹿の死体は内郭前殿の③庭に投げ出され、障子で覆いをかけられた。

🔴現、飛鳥宮跡の井戸の箇所の拡大模型箇所

凡例:①現、飛鳥宮跡の井戸の箇所の拡大(奈良県橿原考古学研究所附属博物館より)

凡例:○が井戸

※愛犬🐶と伝飛鳥板蓋宮跡(現、飛鳥宮跡)の現風景写真箇所です。

現、井戸の復元箇所(遺跡の東から西を望む)

上の井戸部分写真拡大。井戸の周りは石畳になっています。溝は、井戸のこぼれた水や雨水が流れる水路でしょうか?

一度、愛犬といにしえの都、飛鳥宮跡に来てみませんか。

🔴飛鳥宮跡基本情報 

(1)住所 奈良県高市郡明日香村岡

(2)見学時間 24時間

(3)駐車場 なし 奈良県立万葉文化館から歩いて15分程度

(4)旅程(車)

大和八木駅前広場→国道24号→国道165号→醍醐西交差点右折→縄手町交差点左折→県道124号へ突き当たるのを右折→雷交差点左折→県道124号→奥山交差点右折→県道15号→万葉文化館前交差点右折→万葉文化館駐車場→徒歩→万葉文化会館駐車場西側出口→左折→170m→今西誠進堂前直進→80m→生活和雑貨&ギャラリー 輪手前右折→道に沿って進む150m→飛鳥宮

(5)旅程(地図)

3 乙巳の年と言われる十干十二支とは 

十干十二支とは、古代中国で使われ始めた暦や時間を表すための記号で、十干と十二支を組み合わせたもの。10種類の十干と組み合わせた60通りの干支があります。

それぞれの干支の年毎に、年の傾向があります。
干支のサイクルは、60年で一巡りします。なお、60歳になると、干支が一巡りして戻ってくることから、60歳の誕生日を還暦(かんれき)と呼びます。

※番号 十干十二支 呼び方 前回 次回を記載
1 甲子    きのえね(こうし)     1984年(昭和59年)    2044年(令和26年)
2 乙丑    きのとうし(いっちゅう)    1985年(昭和60年)    2045年(令和27年)
3丙寅    ひのえとら(へいいん)     1986年(昭和61年)    2046年(令和28年)
4 丁卯    ひのとう(ていぼう)     1987年(昭和62年)    2047年(令和29年)
5 戊辰    つちのえたつ(ぼしん)    1988年(昭和63年)    2048年(令和30年)
6 己巳    つちのとみ(きし)      1989年(平成元年)      2049年(令和31年)
7 庚午    かのえうま(こうご)    1990年(平成2年)    2050年(令和32年)
8 辛未    かのとひつじ(しんび)    1991年(平成3年)    2051年(令和33年)
9 壬申    みずのえさる(じんしん)    1992年(平成4年)    2052年(令和34年)
10癸酉    みずのととり(きゆう)    1993年(平成5年)    2053年(令和35年)
11 甲戌    きのえいぬ(こうじゅつ)    1994年(平成6年)    2054年(令和36年)
12 乙亥    きのとい(いつがい)    1995年(平成7年)    2055年(令和37年)
13 丙子ひのえね(へいし)        1996年(平成8年)    2056年(令和38年)
14 丁丑    ひのとうし(ていちゅう)    1997年(平成9年)    2057年(令和39年)
15 戊寅    つちのえとら(ぼいん)    1998年(平成10年)    2058年(令和40年)
16 己卯    つちのとう(きぼう)    1999年(平成11年)    2059年(令和41年)
17 庚辰    かのえたつ(こうしん)    2000年(平成12年)    2060年(令和42年)
18 辛巳    かのとみ(しんし)        2001年(平成13年)    2061年(令和43年)
19 壬午    みずのえうま(じんご)    2002年(平成14年)    2062年(令和44年)
20 癸未    みずのえひつじ(きび)    2003年(平成15年)    2063年(令和45年)
21 甲申    きのえさる(こうしん)    2004年(平成16年)    2064年(令和46年)
22 乙酉    きのととり(いつゆう)    2005年(平成17年)    2065年(令和47年)
23 丙戌    ひのえいぬ(へいじゅつ)    2006年(平成18年)    2066年(令和48年)
24 丁亥    ひのとい(へいがい)    2007年(平成19年)    2067年(令和49年)
25 戊子    つちのえね(ぼし)        2008年(平成20年)    2068年(令和50年)
26 己丑    つちのとうし(きちゅう)    2009年(平成21年)    2069年(令和51年)
27 庚寅    かのえとら(こういん)    2010年(平成22年)    2070年(令和52年)
28 辛卯    かのとう(しんぼう)    2011年(平成23年)    2071年(令和53年)
29 壬辰    みずのえたつ(じんしん)    2012年(平成24年)    2072年(令和54年)
30 癸巳    みずのとみ(きし)        2013年(平成25年)    2073年(令和55年)
31 甲午    きのえうま(こうご)    2014年(平成26年)    2074年(令和56年)
32 乙未    きのとひつじ(いつび)    2015年(平成27年)    2075年(令和57年)
33 丙申    ひのえさる(へいしん)    2016年(平成28年)    2076年(令和58年)
34 丁酉    ひのととり(ていゆう)    2017年(平成29年)    2077年(令和59年)
35 戊戌    つちのえいぬ(ぼじゅつ)    2018年(平成30年)    2078年(令和60年)
36 己亥    つちのとい(きがい)    2019年(令和元年)    2079年(令和61年)
37 庚子    かのえね(こうし)            2020年(令和2年)    2080年(令和62年)
38 辛丑    かのとうし(しんちゅう)    2021年(令和3年)    2081年(令和63年)
39 壬寅    みずのえとら(じんいん)    2022年(令和4年)    2082年(令和64年)
40 癸卯    みずのとう(きぼう)    2023年(令和5年)    2083年(令和65年)
41 甲辰    きのえたつ(こうしん)    2024年(令和6年)    2084年(令和66年)
🔴42 乙巳    きのとみ(いつし)      2025年(令和7年)    2085年(令和67年)
43 丙午    ひのえうま(へいご)    1966年(昭和41年)    2026年(令和8年)
44 丁未    ひのとひつじ(ていび)    1967年(昭和42年)    2027年(令和9年)
45 戊申    つちのえさる(ぼしん)    1968年(昭和43年)    2028年(令和10年)
46 己酉    つちのととり(きゆう)    1969年(昭和44年)    2029年(令和11年)
47 庚戌    かのえいぬ(こうじゅつ)    1970年(昭和45年)    2030年(令和12年)
48 辛亥    かのとい(しんがい)    1971年(昭和46年)    2031年(令和13年)
49 壬子    みずのえね(じんし)    1972年(昭和47年)    2032年(令和14年)
50 癸丑    みずのとうし(きちゅう)    1973年(昭和48年)    2033年(令和15年)
51 甲寅    きのえとら(こういん)    1974年(昭和49年)    2034年(令和16年)
52 乙卯    きのとう(いつぼう)    1975年(昭和50年)    2035年(令和17年)
53 丙辰    ひのえたつ(へいしん)    1976年(昭和51年)    2036年(令和18年)
54 丁巳    ひのとみ(ていし)        1977年(昭和52年)    2037年(令和19年)
55 戊午    つちのえうま(ぼご)    1978年(昭和53年)    2038年(令和20年)
56 己未    つちのとひつじ(きび)    1979年(昭和54年)    2039年(令和21年)
57 庚申    かのえさる(こうしん)    1980年(昭和55年)    2040年(令和22年)
58 辛酉    かのととり(しんゆう)    1981年(昭和56年)    2041年(令和23年)
59 壬戌    みずのえいぬ(じんじゅつ)    1982年(昭和57年)    2042年(令和24年)
60 癸亥    みずのとい(きがい)    1983年(昭和58年)    2043年(令和25年)

十二支(じゅうにし)とは  12種類の動物にその年をなぞらえたもの
【十二支一覧】
・子(ね):ねずみ
・丑(うし):牛
・寅(とら):虎
・卯(う):うさぎ
・辰(たつ):龍
・巳(み):へび
・午(うま):馬
・未(ひつじ):羊
・申(さる):猿
・酉(とり):鶏
・戌(いぬ):犬
・亥(い):いのしし
十干(じっかん)とは中国で一から十までを数えるために使われた言葉
【十干一覧】
・甲(こう/きのえ) 木の兄
・乙(おつ/きのと) 木の弟
・丙(へい/ひのえ) 火の兄
・丁(てい/ひのと) 火の弟
・戊(ぼ/つちのえ) 土の兄
・己(き/つちのと) 土の弟
・庚(こう/かのえ) 金の兄
・辛(しん/かのと) 金の弟
・壬(じん/みずのえ)水の兄 
・ 癸(き/みずのと) 水の弟

陰陽五行説: 陰陽とは陰」と「陽」て゛、2つの要素が森羅万象を構成しているとする考え方で、相反する2つの要素が調和して自然秩序が保たれるとされています。 五行とは「木・火・土・金・水」は自然哲学から生まれた言葉で、万物はこの5つの要素から成り立っているという思想で、この5つの要素は互いに影響を与え合い、バランスを保つことで万象が循環すると考えられています。す。陰」と「陽」、2つの要素が森羅万象を構成しているとする考え方です。五行説と陰陽説が結びつき、「陰陽五行説」と呼ばれるようになりました。

4その他

橿原市では、ストリートファイターとコラボで、 世界遺産候補「飛鳥・藤原の宮都」の登録をめざしています。なお、明日香村にある飛鳥宮跡も「飛鳥・藤原の宮都」の構成遺産の一つです。

世界遺産を目指す「飛鳥・藤原の宮都」については、以下のリンクから見る事ができます。

世界遺産「飛鳥・藤原」登録推進協議会

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愛犬の思い出作りに是非、愛犬と旅行を!

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以上で「愛犬と行く2025年(乙巳) 飛鳥時代のシンクロ年(乙巳の変があった奈良県明日香村伝飛鳥板蓋宮跡にて)」を終わります。